第1章 竹取物語シリーズ
謝生
高齢の母のため職を辞した画家は、母を伴いお遍路巡りの旅をした。 無事に八十八か所すべての霊場を巡拝したが、その後の高野山へのお礼参りは遂に叶わなかったという。画家は高野山根本大塔を参拝する親子の姿を描き、画中で母の願いを成就させた。
高齢の母を介護するために職を辞し、大谷は転勤先の東京から故郷の大阪に戻る。認知症の症状も現れた母親との生活には深い愛憎のドラマもあったと察するが、母と過ごした歳月は画家にとってかけがえのない思い出となる。その死後も変わらぬ 母への思慕の念が、《謝生》《梅の精》《阿波情話》などの作品に結実した。また《伝承》《生きる(朝市)》など、市井の人々に母の面影を重ねた作品を制作していることからも、画家の心が常に母と共にあることは明らかであ る。海外の人々の生活風景を描いた作品《復興》《大理古城門外》にも、「親子の幸せは肩寄せ合って暮らす中にある」という画家の思いが込められている。
高齢の母のため職を辞した画家は、母を伴いお遍路巡りの旅をした。 無事に八十八か所すべての霊場を巡拝したが、その後の高野山へのお礼参りは遂に叶わなかったという。画家は高野山根本大塔を参拝する親子の姿を描き、画中で母の願いを成就させた。
自身初の屏風作品。大谷氏は毎春、梅が大好きな母を伴い梅林に出かけていたが、母も高齢となりそれも叶わなくなった。「母を再び梅園に連れて行ってあげたい」という願いを氏は画中で叶えた。 “ 梅の精 ”となった母は永遠に若く、大好きな梅園で幼子のようにはしゃぐ。
画家はスケッチ旅行で徳島へ行った際、 人形浄瑠璃「 傾城阿波の鳴門」を観劇する。その物語の中でも観客の涙を誘う「母と娘の再会と別れ」の場面に、画家自身の母に対する思いを重ねて本作は制作された。画中に描かれた渦潮が、親子の情愛の深さを象徴するようだ。
名古屋の郷土文化「有松絞り」のルーツといわれる 「手蜘蛛絞り」の唯一の継承者、本間とめ子さん。 雑誌で目にしたその姿を、自らが介護し最後を看取った母に重ねて本作を描いた。 現在、本作品は名古屋市の有松・鳴海絞会館に収蔵されている。
朝市で野菜を売る農婦たちの姿に共感した画家の心が描かせた作品である。日々の厳しい農作業に懸命に従事する中で育まれた彼女たちの逞しさ、心の温かさ、活気といったものが画面から伝わってくる。ミレーの農民絵画にも 通じる精神性が表現されている。
中東で起きている紛争の激しさをメディアが伝える中、荒れた土地を耕す家族の姿を写した一枚の写真が 画家の目に留まる。「紛争の最中であっても、両親と共に働ける“喜び”を少年の姿に感じた」と語る画家は、家族の背景から差す光に「幸あれ」との願いを込めた。
中国雲南省にスケッチ旅行に行った際、 雑多な群集の中に見た母子の雰囲気に惹かれて描いた作品。制作しながら画家は 「肩寄せ合って生きる中に、親と子の幸せはある」という ことを再認識したという。木造建築の屋根、 足元の赤土などが中国雲南省の風情を伝える。
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